66 件の資料が見つかりました。
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町報たかなべ No.98 1970年6月号 町報たかなべ
No.98
1970年6月号意識を啓発しようと、社会教育課では、亀塚古墳、島田御門、寒山拾得の像、ことひきの松、上江のお茶屋など十五ヵ所の史跡に高さ二びの標柱を建てました。昨年は清観公墓地など五力所に設置ずみですが、まだ町内には三十五ヵ所ほど予定し...
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町報たかなべ No.100 1970年8月号 町報たかなべ
No.100
1970年8月号(施設)の歴史、明倫堂と学問のこと高鍋の古墳などを勉強しています。郷土史講座郷土の歴史を残そう高鍋には古い歴史の中にかず多くの伝統や民話があります。しかしこうした古い伝統歴史を伝える人が少なくなりだんだんとそうした話しが...
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高鍋町広報 No.107 1971年4月号 高鍋町広報
No.107
1971年4月号年度は一月おきの発行を予定しています持田古墳の管理清掃はなかなかむつかしく、ほつておくとすぐ竹や雑木がはえ形をかくしてしまいます。そこでことしは野焼きにして、じやま物を一掃。もうすぐ緑の新芽できれいになります。を改造。学...
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高鍋町広報 No.108 1971年6月号 高鍋町広報
No.108
1971年6月号農家は、生産調整にに力を入れ、観光は持田古墳られることになります。の二年目、転作への積極性な公害の心配のない工場の誘致はこの総合計画によって進め急がれる主産地の形成いずれにしても、昨年から(参考=昨年の生産調整によ試算し...
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高鍋町広報 No.111 1972年1月号 高鍋町広報
No.111
1972年1月号から堀の内一帯の海浜、保資源としては持田古墳群、蚊があります。考える必要があります。観光れるいこいの場としての計画動広場、自然の中の遊歩道も地を造成し町民の最も利用さのみでなくみんなのための運し、自然林を利用して花木台よ...
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高鍋町広報 No.116 1972年9月号 高鍋町広報
No.116
1972年9月号高鍋防災ダム建設、小中学校防音工事、持田古墳群の保存整備など、災害防止、施設の充実などに努力されました。またはじめて空中防除を実施されたのも氏の任期中でした。七十六才。元高鍋町長吉水輝文氏は作業中の事故による脳内出血で八...
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高鍋町広報 No.123 1974年11月号 高鍋町広報
No.123
1974年11月号事になりました。高鍋町持田地区連協では、古墳祭持田台地で行なう宮崎県内り郷土乃ホープ、金城関は郷土の声援にこたえて九月場所から見事に入幕。成績も九勝六敗の好成績で来場所(九州場所)が期待されます。Iまた将来の三役入りは太...
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高鍋町広報 No.125 1975年1月号 高鍋町広報
No.125
1975年1月号として陪聴、京都大学の梅原末治博士と持田古墳の調査、高鍋史友会会長に就任、県地方史研究連絡協議会顧問となられる等々………を歴任されていらっしやいます。虔々集を発行i書歴―(抜粋)▽大正八年十一月第一歌集「郡落」を発行▽昭...
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高鍋町広報 No.130 1975年9月号 高鍋町広報
No.130
1975年9月号-―上旬返り明日から更に躍進の再出30日古墳群でた。この十年間、過去を振りさんと共に歩んでまいりましこうして十年、町政はみな217日0日読書週間……t’鄙書感想文の募集体育の日たようです。6?8日県畜産共進会にも良いとこ...
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高鍋町広報 No.131 1975年10月号 高鍋町広報
No.131
1975年10月号あり好評でした。☆10月17日に高鍋町の古墳祭が行なわれ、会員の方々は大フントウでした。☆国勢調査のご協力ありがとうございました。前回の調査(45年)の人口を大隔に上回り21,400人台。を読んでピエールの悩んでいた「生...
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高鍋町広報 No.138 1976年9月号 高鍋町広報
No.138
1976年9月号車場を、また、お堀の整備を進める。5持田古墳群(持田台地)を生かすと共に、蚊口一帯の海浜や城跡の舞鶴公園など、十号線に沿って、地理的条件に恵まれていることを生かして、観光客や町民の憩いの場として、観光事業を進めていく計画...
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町報たかなべ 住民の意識調査 特集号 1976年9月号 町報たかなべ
住民の意識調査
特集号
1976年9月号思われますか町内の観光地は舞鶴公園・持田古墳群・高鍋大師も四季を通して観光客が訪れています。今後は積極的に開発とPRをすべきだの答えが42.3%開発は自然を破壊するので現在のままでよいと答えられた方が32.1%ありました...