96 件の資料が見つかりました。
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町報たかなべ No.79 1968年9月号 町報たかなべ
No.79
1968年9月号2部歌う明治百年バラエティーシ・ウ第3部石井十次〈愛の生涯など中学校児童生徒の作品のほか書道、絵、華道展は町内小なうことにしています。準備がすすんでいます。いたいものだと思います。妹都市盟約式を併せて先生を招いて堂々計画...
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町報たかなべ No.81 1968年12月号 町報たかなべ
No.81
1968年12月号を見た感がありました。感涙をそそった劇「石井十次の長女、児島友子さんも、茶臼原からはるばるインタビューに出演、瞼に涙しな△驚く入り∇椅子席で楽に二千人を収容できる高鍋高校の体育館に、座り詰めで身動きできないほど、約三千人...
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町報たかなべ No.84 1969年5月号 町報たかなべ
No.84
1969年5月号をたくさん読んでいたゞきたいと思います。石井十次Vです。歌は井上孝安(町役場)伴奏は高鍋農業高校ブラスバンド、(編曲指揮加藤新昭先生)の皆さんです。各部落、団体、学校などには、近く無償で差上げますので、覚えていただき、会...
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町報たかなべ No.85 1969年6月号 町報たかなべ
No.85
1969年6月号西小の子供たちが近頃、講堂前に建っている石井十次の像の前でお辞儀をするようになったが、昨日の朝のことでした。私か校長室から眺めていると、一時間も遅刻してきた女★西小の、種子田校長さんから、新らしい鉄筋校舎へ移った日の子供...
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町報たかなべ No.86 1969年7月号 町報たかなべ
No.86
1969年7月号大事業というのは。1「記念林」の設定2「石井十次公園」の計川3「高鍋藩史話」の刊行であったが、よい着眼で。永く記念として残ることであろう。さてそれにもまして永く記念となっだのは、「姉妹都市」の実現であった。甘木市と串間市...
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町報たかなべ No.88 1969年9月号 町報たかなべ
No.88
1969年9月号人々を魅了しろうとばなれした動きと、劇、石井十次の舞台がおいてください。善行者の表彰、戦没者叙勲伝ことにつきる。過疎と過密のによってもそれは立証されてさんによるコーフス、町内。今力ら家庭での日程を組んでも招いて、町政功労...
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町報たかなべ No.92 1969年12月号 町報たかなべ
No.92
1969年12月号駅東にある郷土が生んだ、孤児の父、石井十次記念碑の清掃を行ないました。この碑は三年前ライオンズクラブの手によって建てられたものですが、老人ホームの元気な人たちが社会奉仕の一環として、毎年春夏冬の三回清掃しているもので、お...
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町報たかなべ No.94 1970年2月号 町報たかなべ
No.94
1970年2月号した。しめやかに五十六年祭一郷土の偉人、石井十次の没五十六年祭が、命日である一月三十目茶㈲原の墓所でしめやかにとりおこなわれましたこの日はあいにくの雨もよいの天気でしたが、関係者や近在の人、それに川南準看護学院生徒全員(...
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高鍋町広報 No.97 1970年5月号 高鍋町広報
No.97
1970年5月号交通法交通事故にあつたら国保講座馬場原に石井十次顕彰会(高鍋、西都、木城の有志で結成)によって、記念館(茶送されていましたが、これが完成すると、飼料貸車にバラ積みで高鍋につき、コンベアーでサイロに送られる。需要家はこの基...
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町報たかなべ No.98 1970年6月号 町報たかなべ
No.98
1970年6月号と園外奉仕活動を計画し、五月には駅にある石井十次記念碑の清掃をおこないました。手足の不自山な人も動ける人は全部参加したのです。▼「生命ある限り、自分を大切に」私はくりかえす。そして百歳になったら生涯教育の卒業証書を渡すと...
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高鍋町広報 No.132 1975年11月号 高鍋町広報
No.132
1975年11月号人の日19〜31日保育園児入園募隼30日石井十次墓前祭?命日毎月○のつく日交通事故○の日毎月第三日曜日は家庭の日行することになっています。ア、たばこの投げ捨てと、寝たばこの防止イ、暖房器具の安全点検ウ、ガス器具などのガス...
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高鍋町広報 No.150 1978年7月号 高鍋町広報
No.150
1978年7月号たいと学力体力の向上と併せ道義の高揚特に石井十次の人間愛の教育を実現すぺく教育環境施設の整備、教師の研修、教育課程の刷新・社会教育の振興等に微力を尽しました。幸い町長はじめ町議会のご協力により各学校の校舎及び付属施設の改...