171 件の資料が見つかりました。
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高鍋町広報 No.10 1960年4月号 高鍋町広報
No.10
1960年4月号も克くこの波濤を越えて年と共に発展し当時人口六千の町も今二日万余を擁する大町に成長したのであります。これ全く先輩諸兄、全町民諸君の挑まざる努力精進の結果でありまして改めて茲に深甚の謝意を表するものであります。本町は古くは...
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高鍋町広報 No.15 1960年9月号 高鍋町広報
No.15
1960年9月号致時には必ず納税義務者統計調査で、全国の人口着々すすむ農村振興計画代理の方が来られる2、世帯主との続柄日各分館長さんのお宅を行なわれる国の基本的なかなト事になりました国勢調杏は、五乍ごとに1げ、て氏見名ますとつきましては...
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高鍋町広報 No.18 1960年12月号 高鍋町広報
No.18
1960年12月号で10月1日現在で調査した当町の国勢調査人口20,041人世帯数4,618世帯(9月末日現在)以上の様に本年度は早急に成すべき事業が山ほどあり,その財源確保に,日夜努力していますが,この一つ一つの事業が完全に実行出来るか...
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高鍋町広報 No.20 1961年2月号 高鍋町広報
No.20
1961年2月号劣弱化を防止すると同時に、一方農村の過剰人口との関係,償却資産や総所得の多い当町には地方交付税はいつも恵まれていません。〔歳出〕投資的経費歳出の中でも一番大きな割合をしめるもので,その主な事業について簡単に述べますと,消...
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町報たかなべ No.47 1963年9月号 町報たかなべ
No.47
1963年9月号す。父、これからの商店街としては、「消費人口が増えることがなによりです。だから、そのためには、工場の誘致とか、住宅の増設なとは商工業の発展には、最も理想的なものです。」と話しています。商工会議所のあらまし会頭黒木常吉(筏...
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町報たかなべ No.53 1964年4月号 町報たかなべ
No.53
1964年4月号1労働力を生かした関連工業都市2増加する人口増による乗降客数を推定し、これに相応する広場をとり、美観整備しなければならない。公園を、北、西、南に配し、海岸の松林と東部丘陵地帯に緑地帯か設ける。西部地区は運動、苑地、新鶴の...
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町報たかなべ No.57 1964年8月号 町報たかなべ
No.57
1964年8月号なみといえましょ病床数は総数一五八床で、人口干人当り五‘八床となりますので、一般病床につトては県全体を上廻りますので、高鍋町は医療保健施設に比校的恵まれてトるとトえましょうO病により第六項症以上の障害(不具廃疾)となった...
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町報たかなべ No.58 1964年9月号 町報たかなべ
No.58
1964年9月号工事が着工されました。工事は、宝酒造工場人口二万の小都市なのに、本線の急行列車の全部が停車するということは、いかに高鍋が経済、文化の要点としての性格を持ってしろかがうかがえるというもので。、誠に意義深いといわねばなりませ...
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町報たかなべ No.59 1964年10月号 町報たかなべ
No.59
1964年10月号う。法の定めるところによると、中心市街地人口になるよう、都市計画を建設省に陳情し、しばしば上京もして猛烈な運動をしました結果、県の助力をも得て、ようやく去る八月二十日の官報に登載されたように、許可決定がなされました。この...
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町報たかなべ No.63 1965年3月号 町報たかなべ
No.63
1965年3月号宅の増大や衛生施設の完備、および単独五万人口の王子浜から小水ヶ池に至る地域を一大商港として、その財政面は新富町単独の財力ではなかなか困難であり、ここに三ヶ町村の力を一つにすれば南米から日本への輸送費のほうがうんと安くっく...
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町報たかなべ No.65 1965年6月号 町報たかなべ
No.65
1965年6月号計にょりますと、宮崎県の非行青少年のその人口に対する比)は、七・一%をしめし九州では福岡県についで第二位というありかたくない有様になっていますが、これは大へんなこと...
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町報たかなべ No.66 1965年8月号 町報たかなべ
No.66
1965年8月号が判明しました。今後、高鍋町が二倍以上の人口を一応一万五千人程度(主として平坦地)と考えておりますので、かりに一目一人当り二〇〇リットルとしますと、一、〇〇〇リ″トルがIトソですから一日三、〇〇〇トンの水が必要となりま講...