7 件の資料が見つかりました。
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高鍋町広報 No.10 1960年4月号 高鍋町広報
No.10
1960年4月号す。本町は古くは財部と称し欽明天皇の御宇土持氏が所領でありましたがその後伊東氏島津氏となりましたけれども天正十五年筑前より秋月種長公が当財部城主に封ぜられてから第十代和服公藩籍を宰遷せらるゝまで実に二百八十余年舞鶴城下町...
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町報たかなべ No.65 1965年6月号 町報たかなべ
No.65
1965年6月号百余年の間居城してい一ました。景綱の代に土持氏はそれからおよそどの村名がでてトます。これからみますと、高鍋は比木方のうちから別れて独立したものと思われます。高鍋は、かかしは財部(たからべ)とトわれていました。古老(西歴七...
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町報たかなべ No.86 1969年7月号 町報たかなべ
No.86
1969年7月号攻め入り、まず、県(あがたg今の延岡)の土持氏をうちとり、八月には、いよいよ財部、高城を攻めて島津氏に決戦を挑んだのでした九月十五日には、大友軍の先陣が芙々川(耳川)を渡って、百町原(ひゃくちょうばる)の北方浅付山に陣を...
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高鍋町広報 No.126 1975年3月号 高鍋町広報
No.126
1975年3月号城』と呼ばれるようになりました。その昔、土持氏が日向の国内に住むようになってから、伊東、島津氏から秋月の先祖代々の居城となり、延宝元年正月三代種信の頃「財部」を高鍋に改めております。明治になって幕府は大政を奉還。高鍋藩も...
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広報たかなべ No.308 2000年11月号 広報たかなべ
No.308
2000年11月号つ町です。古くは財部(たからべ)と称し、土持氏、伊東氏、島津氏を経て、秋月氏時代の1669(寛文9)年に高鍋と改めました。近年の城下町の形態を整え始めたのは、17世紀からです。秋月氏藩政の概要を見ると、学問・武芸のけいこ...
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広報たかなべ No.309 2001年1月号 広報たかなべ
No.309
2001年1月号つ町です。古くは財部(たからべ)と称し、土持氏、伊東氏、島津氏を経て、秋月氏時代の1669(寛文9)年に高鍋と改めました。近年の城下町の形態を整え始めたのは、17世紀からです。秋月氏藩政の概要を見ると、学問・武芸のけいこ...
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広報たかなべ No.372 2011年9月号 広報たかなべ
No.372
2011年9月号の基礎を築いたすばらしい施策が数多く見ら土持氏、伊東氏、島津氏を経て、秋月氏の時代に高鍋と改めました。高鍋町は、持田古墳群からも分かるように古い歴史を持つ町です。古くは、財部(たからべ)と称し、続けてきました。年に高鍋町...