101 件の資料が見つかりました。
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町報たかなべ No.32 1962年2月号 町報たかなべ
No.32
1962年2月号9年東大哲学科中退ク40年倉敷紡績入社、石井十次岡山孤児院市業担当大正9年衆議院議員当選昭和8年茶商日向屋を設立ク10年宮崎市長ク12年県議当選ク13年高鍋町長ク14年県議当選議長となるク21年石井記念友愛社設立々25年...
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町報たかなべ No.41 1962年12月号 町報たかなべ
No.41
1962年12月号9部に新威力観光資源に埋っていた文化財を石井十次先十一月十四日、高鍋町にも人知らぬまXに埋っている文化財れある、これを何人かの手により発堀し、PRしたいという奇々の念願を、宮崎交通取締役会長、岩切章太郎氏の高鍋町講演会を...
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町報たかなべ No.51 1964年2月号 町報たかなべ
No.51
1964年2月号策の青写真を正しい申告をして明るい納税を石井十次の昇天せて百戸、三年計画で不(足分四百戸の新住宅建設を予定しています。なお一新田原基地からも住宅をとの強い要望がありますので、町長が何時も言っている五千戸新住宅建設計画の一...
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町報たかなべ No.52 1964年3月号 町報たかなべ
No.52
1964年3月号end_aticle_title>石井十次顕彰会の発足をみました。この会は鬼ヶ久保経営研究会(就学児をもたれるお母さん)子供の気持を知りたい高鍋町野球連盟誕生老人クラブ寿会に奉仕内田医師小話刑事「しかしだね君もう動...
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町報たかなべ No.62 1965年2月号 町報たかなべ
No.62
1965年2月号㈲人のためわが身のために献血を郷土の偉人石井十次顕彰会が発足し、記念行事として四月十一日の誕生日には、西小学校において式典がおこだわれる予新山に公民館ができました二月二日に落成式忌明寄附道具小路西横田小一殿一金、弐千円也...
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町報たかなべ No.64 1965年4月号 町報たかなべ
No.64
1965年4月号遺徳をしのび生誕百年記念式孤児の父石井十次老人ホームふら明るい歌ごえ東小のよい子たちの慰問市の山ラミー組合団体優勝昭和39年度宮崎県ラミー競作会健康なからだで明るい生活をしましJつ電話メモに健康のありがた味を忘れてトた人...
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町報たかなべ No.65 1965年6月号 町報たかなべ
No.65
1965年6月号の一言を「よその子であっても」西小学校に石井十次先生の記念像ができあがり、その除幕式が四月二十二日午前十時から、記念像の前で遺族や生徒、PTAなど約二百余人が参列しておこなわ一れました。児童代表の鮫島浩君、高田稚美さん、...
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町報たかなべ No.68 1966年1月号 町報たかなべ
No.68
1966年1月号成人式○中句大正通り道路治装工事○二十日石井十次墓前祭してもらいたい。ロ、竹鳩用水路改工事費に対して町費を補助してもらいたいハ、蚊‐地区に排水路の施設をしてもらいたい8陳情イ、水谷原坂下中鶴用水路に土砂流入防止施設工事を...
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町報たかなべ No.72 1966年7月号 町報たかなべ
No.72
1966年7月号ぎ一の通り改正になりました。と”孤児の父石井十次顕彰会の発足を、昭和三十九年三月にみたのであります。その後、顕彰会では昭和四十年四月十一日に、生誕百年祭を西小学校においていときがあります。被保険者が病気や負傷したら、診察...
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町報たかなべ No.74 1966年9月号 町報たかなべ
No.74
1966年9月号作訓、作曲兼備のベテラン。高鍋高校校歌、石井十次の歌、そのほか作品あまた。自宅は、町内菖蒲池、奥さんと二人ぐらし、五十三才。。作曲の入選者加藤先生は、「気軽るに、いつでも唄えて振りつけの調子もよいものをと考えて作曲してみ...
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町報たかなべ No.76 1968年2月号 町報たかなべ
No.76
1968年2月号とが大事ではないかと思うのですが」松田「石井十次先生の日記の中に『あ〜美なるかな日向の地、余は実になんじを愛それでは高鍋人としては、どうあればよいのでしょう。秋月「一口に云えば新らしい人材をどんどん送り出すことでしょう。...
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町報たかなべ No.77 1968年6月号 町報たかなべ
No.77
1968年6月号町としては、次のことがらを考えている。1石井十次記念公園と銅像の建立2高鍋薄史の刊行、町政史の編さん3郷土室を設け民俗資料の充実整備と郷土史今年は明冶百年に当たるので、この意義を厳粛に考えて記念すべき年にふさわしい事業を...