66 件の資料が見つかりました。
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高鍋町広報 No.29 1961年11月号 高鍋町広報
No.29
1961年11月号より午後四時迄調停相談会が開かれますの旧高鍋藩主、秋月種英公は、八十一歳の高齢をもちまして、十月二十九日午前五時二十分永眠致されました。追而葬儀は旧藩葬の礼をもって十一月二十八日午後一時三十分から高鍋東小学校講堂において...
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町報たかなべ No.50 1964年1月号 町報たかなべ
No.50
1964年1月号ができるとおもいます。この・ことは古来旧高鍋藩の城下町として栄えて来たものの、近年やや低迷気味であった町勢に活力を与える絶好の機会とも考えられます。幸い、昨年三ッの新工場の設置をみ、着々とそ討を加えなければならない特機に...
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町報たかなべ No.56 1964年7月号 町報たかなべ
No.56
1964年7月号資格があるとレレ得るのです。われわれは旧高鍋藩政執行の府としての旧来の責任においても、こうしなげればならないと思うのであります。高鍋町は将来どうトう行き方をしたらよいか/どういうあり方が大切であるか/世間ではよく合併促進...
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町報たかなべ No.57 1964年8月号 町報たかなべ
No.57
1964年8月号が、実高七万石と云われていた財政豊かな旧高鍋藩政の中心地であって、今日まで郡内の主都として任じてきました。月氏景世の居城舞鶴城址である。南は新富の半分、北は美々津、幸福に至る地域、それに南那珂郡串間地方および諸県(木脇)...
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町報たかなべ No.72 1966年7月号 町報たかなべ
No.72
1966年7月号次保険税が高くかつてきた」との、みなさん高鍋藩一士分訓諭(たかなべはんしぶんくんゆ)といいます。別せずに交際し、部落内では、何事によらず話し合いを持ち、病気や、災難に合った人には、できるかぎり力になってやり、その使田人た...
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町報たかなべ No.77 1968年6月号 町報たかなべ
No.77
1968年6月号挙げて敬慕讃仰)てやまぬ上杉鷹山公がわが高鍋藩から養子として行かれた方であるという、古y血縁によったものである今回、二〇年振りにその旧縁が温めれる機会を得、友好提携謐が開かれたことは町民・しく感謝しているとこZ.、あるが...
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町報たかなべ No.81 1968年12月号 町報たかなべ
No.81
1968年12月号八七一)七月十四日、廃藩置県が行なわれ、高鍋藩知事には秋月種殷(たねとみ)公が任ぜられました。しかしながら間もなく急逝されましたので令弟種樹(だねたつ)公がその職を引継がれたのであります。同年十月、藩知事から政府に提出さ...
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町報たかなべ No.82 1969年1月号 町報たかなべ
No.82
1969年1月号方針を示し、各戸分掌を定め柿原正一氏は、高鍋藩士柿原正幸氏の長男として、元治元年八月道具小路に生を亨く。父正幸氏は十年戦争の折田原坂にて戦死、年少にして両親を失い世路の辛酸を官む。氏は大阪府勤務巾、高鍋に境を接す新田村(...
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町報たかなべ No.83 1969年4月号 町報たかなべ
No.83
1969年4月号の目のような美田に堀之内地区基盤整備終る高鍋藩史話」を刊行することにしたわけでしたが、今度いよいよ皆さんに配本できる運びとなりました。この史話は、歌人であり、郷土史家でもある安田先生が五年有余をかけてまとめあげられたもの...
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町報たかなべ No.86 1969年7月号 町報たかなべ
No.86
1969年7月号町長のあいさつや秋月種芭先生の話しのあと高鍋藩史話の贈呈などもあってお互いが十年の知己のごとくまことになごやかなふんいきでしたました。※しかし、作図悩本台帳に登録されている人でも、実際に住人万いない人は脊録されません。。...
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町報たかなべ No.87 1969年8月号 町報たかなべ
No.87
1969年8月号の方が発赳人となられ行な安田尚義光生著‘高鍋藩史話」発刊記念会を、信用金庫ホールに先生夫妻をお招きし八月五日盛大に行なわれました。この日は、先生を慕う人たちが、町内外から約百人集ま安田先生をねぎらう藩史話発刊にあたりやま...
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町報たかなべ No.94 1970年2月号 町報たかなべ
No.94
1970年2月号和歌大祖父の話して呉れし思いでをたどりて高鍋藩史話を読む俳句かかご売り又会いにけり都農町道具南則松千秋タオル、おもちなどのおみやげと、白扇会員十名の日本舞踊で楽しい一‐‥でした。しめやかに五十六年祭一郷土の偉人、石井十次...