高鍋町史第五編
第五編 近代
第一章 村政の推移
第一節 美々津県と高鍋
県域、大区小区制 旧制の学校と新学制 農民騒動
第二節 宮崎県の創置と高鍋
宮崎県の誕生 藩債と家禄 地租改正の準備
旧藩主種殷の死、その他 広谷用水の工事再開認められず
第二章 鹿児島県時代の高鍋
第一節 鹿児島県へ合併
鹿児島県へ合併さる
第二節 西南戦争と高鍋
私学校党の決起 高鍋の動揺 演説会開かる
種樹の動向と坂田莠 高鍋隊の編成 田原坂の激戦
勅使の派遣と高鍋隊の苦悩 坂田諸潔日向参
軍となる 九烈士入牢 高鍋隊の日之影付近の奮戦
高鍋の陥落 高鍋隊の解散 丁丑戦亡記念碑
九烈士ノ歌並ビニ序
第三節 行政制度の改変
郡区町村制 日向地誌と三村
第三章 宮崎県の再置と高鍋
第一節 行政制度の整備
宮崎県の再置 町村制の実施 郡制の実施
郡役所の所在地 郡制の終わり 町村役場規程
高鍋の町制施行 歴代町村長
第二節 士族授産場と製糸業
士族授産場の設立 高鍋地方の養蚕業 蚕種・桑苗の改良
高鍋製糸株式会社 製糸工場の増加
経済不況と製糸業 蚕業に貢献した人々
第三節 製糖業とその他の産業
開糖記念碑 糖業と石井十次 高鍋製糖株式会社
石井十次と高鍋の諸事業
第四節 日清・日露戦争と軍馬補充部
日清・日露戦争 軍馬補充部の開設 町是の策定
明治末期から大正初めの高鍋町並図
第四章 大正・昭和前期の高鍋
第一節 変動期の諸相
一 養蚕・製糸の黄金時代
養蚕・製糸の中心地 苦境切り抜け黄金時代へ
大戦景気 全国最初の乾繭倉庫 戦時中の養蚕製糸
二 銀行取り付けと関東大震災
第一次世界大戦後の不景気 関東大震災
世界大恐慌とつか掘り 銀行の取り付けと高鍋
日向興業銀行の開業
三 開け行く交通運輸
道路整備と客馬車 荷馬車と自転車 自動車時代来る
日向鉄道速成期成同盟会 山の手線案と海岸線案
高鍋駅の開通式 九州一の小丸川鉄橋
日豊本線全通 高鍋鉄道株式会社
四 大正期の入植開拓
米倉竹鳩の苦闘 新天地新山開拓
五 電灯普及と電気事業
電灯ともる 電気事業の盛況
六 日向屋茶舗の活躍
茶臼原の茶 柿原茶舗から日向屋茶舗へ
九州輸出製茶株式会社
七 スペインかぜとセキリ小屋
赤痢王国の赤痢小屋 スペインかぜ
肺結核とトラホーム
第二節 事変下の生活
一 生命線満州
海軍軍縮会議と日本 軍備縮小と学校軍事教練
満州国の独立と郷土部隊 軍備拡張と農山村の窮状
満蒙開拓移民団の送出
二 華北事変から全面日中戦争
華北事変起こる 全面日中戦争 農耕馬の出征と
女子の牛馬耕 祖国振興隊の活躍 かんしょ増産と
でん粉工場 国営無水アルコール高鍋工場
供出米千俵の誉れ
三 高鍋・上江両町村の合併
郷党協会の活躍 新高鍋町の誕生
合併当時の高鍋の実態 合併記念行事
四 県営電気事業の開発
大正期本県の電源開発 奮起した柿原政一郎
県外送電反対の成果 残されていた小丸川
小丸川県営電気
五 鉄興社高鍋工場
軍需工場鉄興社の活躍 鉄興社誘致の奮闘
六 舞鶴神社と護国神社
舞鶴神社 戦死者の英霊を護国神社に
第三節 第二次世界大戦
一 太平洋戦争
戦争終結の願いむなしく 最前線ブーゲンビルの奮戦
二 物資欠乏との戦い
金属回収と桑の皮はぎ 配給切符制 代用燃料の増産
昭和十八年の高鍋町の奮闘
三 沖縄疎開児童来る
沖縄決戦の戦備 護衛艦なしの学童内地疎開船
沖縄疎開児童たちを迎えて 沖縄帰還の日
度々のお礼訪問
四 米軍宮崎海岸上陸の予想
県内の決戦配備 新田原・唐瀬原飛行場建設
高鍋地域の決戦の構え 防空監視哨の活躍
待避壕から分散教場へ 防空対策
五 大空襲下の高鍋
高鍋の初空襲 高鍋酒精工場の空襲災害状況
空襲下の学徒動員 時限爆弾投下 小丸川鉄橋の
猛爆 猛爆下の塩田作業生徒隊 高鍋駅の大爆発
グラマン空襲 爆撃機の猛爆 落下傘爆弾と銃撃
火災 B29爆撃 高鍋町最後の大空襲
高鍋高等女学校と軍馬補充部の戦災 学童疎開準備令
高鍋町の空襲被害
六 終戦
玉音放送 満蒙開拓団の終末 町葬・村葬の記録
終戦後の混乱
高鍋町史 第五編
第一章 村政の推移
第一節 美々津県と高鍋
県域、大区小区制 旧制の学校と新学制 農民騒動
第二節 宮崎県の創置と高鍋
宮崎県の誕生 藩債と家禄 地租改正の準備
旧藩主種殷の死、その他 広谷用水の工事再開認められず
第二章 鹿児島県時代の高鍋
第一節 鹿児島県へ合併
鹿児島県へ合併さる
第二節 西南戦争と高鍋
私学校党の決起 高鍋の動揺 演説会開かる
種樹の動向と坂田莠 高鍋隊の編成 田原坂の激戦
勅使の派遣と高鍋隊の苦悩 坂田諸潔日向参
軍となる 九烈士入牢 高鍋隊の日之影付近の奮戦
高鍋の陥落 高鍋隊の解散 丁丑戦亡記念碑
九烈士ノ歌並ビニ序
第三節 行政制度の改変
郡区町村制 日向地誌と三村
第三章 宮崎県の再置と高鍋
第一節 行政制度の整備
宮崎県の再置 町村制の実施 郡制の実施
郡役所の所在地 郡制の終わり 町村役場規程
高鍋の町制施行 歴代町村長
第二節 士族授産場と製糸業
士族授産場の設立 高鍋地方の養蚕業 蚕種・桑苗の改良
高鍋製糸株式会社 製糸工場の増加
経済不況と製糸業 蚕業に貢献した人々
第三節 製糖業とその他の産業
開糖記念碑 糖業と石井十次 高鍋製糖株式会社
石井十次と高鍋の諸事業
第四節 日清・日露戦争と軍馬補充部
日清・日露戦争 軍馬補充部の開設 町是の策定
明治末期から大正初めの高鍋町並図
第四章 大正・昭和前期の高鍋
第一節 変動期の諸相
一 養蚕・製糸の黄金時代
養蚕・製糸の中心地 苦境切り抜け黄金時代へ
大戦景気 全国最初の乾繭倉庫 戦時中の養蚕製糸
二 銀行取り付けと関東大震災
第一次世界大戦後の不景気 関東大震災
世界大恐慌とつか掘り 銀行の取り付けと高鍋
日向興業銀行の開業
三 開け行く交通運輸
道路整備と客馬車 荷馬車と自転車 自動車時代来る
日向鉄道速成期成同盟会 山の手線案と海岸線案
高鍋駅の開通式 九州一の小丸川鉄橋
日豊本線全通 高鍋鉄道株式会社
四 大正期の入植開拓
米倉竹鳩の苦闘 新天地新山開拓
五 電灯普及と電気事業
電灯ともる 電気事業の盛況
六 日向屋茶舗の活躍
茶臼原の茶 柿原茶舗から日向屋茶舗へ
九州輸出製茶株式会社
七 スペインかぜとセキリ小屋
赤痢王国の赤痢小屋 スペインかぜ
肺結核とトラホーム
第二節 事変下の生活
一 生命線満州
海軍軍縮会議と日本 軍備縮小と学校軍事教練
満州国の独立と郷土部隊 軍備拡張と農山村の窮状
満蒙開拓移民団の送出
二 華北事変から全面日中戦争
華北事変起こる 全面日中戦争 農耕馬の出征と
女子の牛馬耕 祖国振興隊の活躍 かんしょ増産と
でん粉工場 国営無水アルコール高鍋工場
供出米千俵の誉れ
三 高鍋・上江両町村の合併
郷党協会の活躍 新高鍋町の誕生
合併当時の高鍋の実態 合併記念行事
四 県営電気事業の開発
大正期本県の電源開発 奮起した柿原政一郎
県外送電反対の成果 残されていた小丸川
小丸川県営電気
五 鉄興社高鍋工場
軍需工場鉄興社の活躍 鉄興社誘致の奮闘
六 舞鶴神社と護国神社
舞鶴神社 戦死者の英霊を護国神社に
第三節 第二次世界大戦
一 太平洋戦争
戦争終結の願いむなしく 最前線ブーゲンビルの奮戦
二 物資欠乏との戦い
金属回収と桑の皮はぎ 配給切符制 代用燃料の増産
昭和十八年の高鍋町の奮闘
三 沖縄疎開児童来る
沖縄決戦の戦備 護衛艦なしの学童内地疎開船
沖縄疎開児童たちを迎えて 沖縄帰還の日
度々のお礼訪問
四 米軍宮崎海岸上陸の予想
県内の決戦配備 新田原・唐瀬原飛行場建設
高鍋地域の決戦の構え 防空監視哨の活躍
待避壕から分散教場へ 防空対策
五 大空襲下の高鍋
高鍋の初空襲 高鍋酒精工場の空襲災害状況
空襲下の学徒動員 時限爆弾投下 小丸川鉄橋の
猛爆 猛爆下の塩田作業生徒隊 高鍋駅の大爆発
グラマン空襲 爆撃機の猛爆 落下傘爆弾と銃撃
火災 B29爆撃 高鍋町最後の大空襲
高鍋高等女学校と軍馬補充部の戦災 学童疎開準備令
高鍋町の空襲被害
六 終戦
玉音放送 満蒙開拓団の終末 町葬・村葬の記録
終戦後の混乱
高鍋町史 第五編